2023年度は婦人之友建業120周年の年でした。
この年に相模友の会の会報に掲載されました、
長く連なっている会員の婦人之友との出会い、思い出、想いをこちらにも掲載いたします。
婦人之友創刊120周年の今年、相模友の会では折に触れ
会員一人ひとりが婦人之友への思いを語り合うことにしました。
友の会に入会して以来会員歴の長い、短い時間に限らず、愛読者の集まりであることを改めて確認したこと、この雑誌に抱いている思い、新たに気付いたこと、幼いころの思い出、わが子への夢、、、、、ほんとうに多くの感想が寄せられました。
その中から相模会報に掲載されたものを紹介します。
尚、左のカットは、工芸グループで50年近く季節のはがきを作り続けてきた高齢会員の作品から、
紫大根(オオアラセイトウ)
橋本土曜最寄 M.Y
1976年、長女出産後、ママ友から紹介された1冊の雑誌。子ども用の記事から世界情勢まで幅広いニュース、そして料理、家計簿。思わず「これお借りしていい?」。ここから友誌とのお付き合いが始まりました。ママ友から突然「わが家のお給料はこれくらいなの!」と、「羽仁もと子案家計簿」の収入欄を見せられて、これまたドッキリ!「家計に予算」という言葉にもなぜか感動し、次週には家計簿を手にしていました。友誌巻末にある「友の会にご関心のある方はお葉書で」の文言通り、静岡の地より池袋へと郵送していました。その後、最寄会のお知らせをいただき、近所のお宅へ長女のおむつとミルクとお弁当を携えてお邪魔して以来48年が経過。本棚に並んだ家計簿を見るたびに、この出会いの不思議さに驚きます。1年間の購読料が家計を圧迫していた時、数年購読を中止したことも苦い思い出に。最初の通読著作集『思想しつつ 生活しつつ下巻』は表紙もはがれボロボロに。入会当初からわが家の生活の羅針盤となり、未だに手に取る度にアルバムを見るように、文章に引かれた赤い線に思い出がよみがえって来ます。
婦人之友社、自由学園、全国友の会の三団体の一つである友の会に、これからも連ならせていただき、「思想しつつ 生活しつつ 祈りつつ」の日々を、と思う日々です。
海老名最寄 M.Y
「婦人之友」は小学生の頃からいつも茶の間のテーブルの上にありました。
中学生の頃からか、一度だけページをめくり洋服デザイナーの田中千代さんの洋服を見た記憶があります。不謹慎で すが「古い!」と思ってしまいました。
結婚と同時に母から「婦人之友」と「羽仁もと子案家計簿」を渡されました。
「婦人之友」は子どもの成長と共に料理の記事、お菓子の記事、教育に関する記事と最初に開くページが違ってきまし たが、今の時代と違って文字からの情報がほとんどで、生活に生かすことが出来ました。生活技術 を身に着けないで結婚生活に入りましたので、ほんとうに助けられた雑誌でした。
それでもしっかり読んでいたわけではなく不真面目な読者でしたが、家計の記事は必ず目を通 していました。唯一真面目に取り組んできたのが家計簿でした。
現在我が家の書庫の棚に50 数冊がずらーと並んでいます。最近この家計簿が私なりに頑張って過ごしてきた証の様に思うようになりました。
中年から「明日の友」も加わり、この3 冊に、現状維持の生活でいいかなと思ってしまう自分の背中を押してもらっている様に思えます。この先、母と同じように、自分の居場所の傍らに、「婦人之 友」「明日の友」「家計簿」の3 冊が長く置かれているのを願いつつ…
縁
橋本火曜最寄 Y.I
婦人之友との出会いはもう50年前。西鉄大牟田線で福岡へ片道1時間かけ通学していたころでした。町暮らしの友は母親が読者だったらしく、時々読んでいるのを見せてもらっていました。(電車の中は読書時間だった)
農家育ちの私には、どの頁も新鮮で美しく、不思議な力に魅了されたものでした。このことは進路を決めるヒントになりました。
在学中に農家の生活改良普及員の資格を取りました。(当時、福岡県内だけで通用する資格だった)
受験資格項目に自由学園卒業生、卒業見込み者とあり、学園のことも知りました。
就職し、先輩から「よい雑誌だよ」と渡されたのも婦人之友でした。食から生活改善と思っていたので栄養のこと、垢ぬけた料理は役立ちました。
結婚して横浜に来て、馬車道の有隣堂で昭和51年12月号を見つけ、即、求めました。
新生活を始めたばかりでお金をどう使ったらよいか悩んでいたので家計特集はタイムリーでした。何度も読み勉強しました。自己流で友社の家計簿もつけ、定期購読も始め生活の教科書となりました。特に育児記事は、早くに母を亡くしていましたので、相談相手になってもらいました。パジャマを縫ったり、毎日おやつも作りました。四回食の基本は、今シニアの食生活にも役立っています。
馬場のぼるさんの「アオさん」シリーズの絵本連載は何年か続き、子ども達も大好きで、読み聞かせをいっぱいしました。幸せな時間でした。
これまでいろんなめぐりあわせがありましたが、この先も婦人之友、友の会を通してご縁がありますように。
「婦人之友」と「友の会」
海老名最寄 T.S
「婦人之友」を手にしたのは、海老名に引っ越して来てからでした。知り合いがいなくて、前々から関心があった「婦人之友」を購読し始めました。 そこで家事家計講習会のことを知り、2年続けて講習会を受講し、友の会への入会を決めました。入会後、例会、最寄会、友愛セール、講習会などで忙しいなか、沢山の方々からの戴きものがありまた。
毎月届くのが当然のように40年が過ぎました。 40年経った今も、ヒントになることが多く、試してみることで、マンネリ化した生活に風を吹き込んでいます。さらに心の持ちようを導かれることもあります。
また生活歌集、生活句集、f・tomoひろば、編集室日記も楽しみにしています。生活歌集、生活句集では、転出された方、同じ市の方のお名前を見つけると嬉しく、常連の方の作品に共感したり、心情を味わったりしています。
「婦人之友」」を知ってもらいたいと思い、20年くらい前に6ヶ月だけでしたが、毎月、自分のものと、もう1冊購入し、6人の方に差し上げたこともありました。
「婦人之友」、「友の会」と出会えたことに感謝しています。
生活と共にある雑誌
南林間最寄 M.M
夫の転勤で結婚2年目の春に、福島市に転居し落ち着いたころ、先に転勤していた方の奥様から勧められて参加したのが、福島友の会の乳幼児の集まりでした。
私はちょうどその時、第1子を妊娠中。そのころの私はあまり子どもに関心もなく、遊ぶ子どもたちの様子を見ながら、これから母になろうとする自分がとても不思議でした。でもこの事がきっかけとなり、友の会への入会を決め、家計簿と婦人之友を手元に置くことになりました。
婦人之友が家事仕事の最初の教科書です。友の会の集まりでは、年齢の離れた会員の皆さんと同じ本を開いて意見交換が出来る事が本当に驚きでした。家事家計講習会のお誘いはいつも先輩会員と一緒、婦人之友持参で1軒1軒を訪ね歩きました。お声がけは婦人之友の紹介からでした。時には一人でお誘いする様にと、背中を押され、そんな時も私には婦人之友が力強い味方でした。
その頃から50数年経った今も変わらず外出するときはいつも婦人之友はバックの中です。最近は忙しさを理由に、拾い読みしか出来ない時もありますが、読み終えた時の充実感は、いつも自分を高めてくれているように思えます。
後期高齢者になって、特に興味があるのは生活歌集、生活句集です。
私も毎日の出来事を歌で表わせるようになりたいと思っているところです。
愛読53年 婦人之友と共に
厚木北最寄 M.M
1970年4月“世界の国からこんにちワ”と大阪万博開幕の年、新家庭の最初の郵便物として届いたのが 婦人之友4月号でした。母からの年間プレゼントです。それから50余年。4回の住所変更を経て、教養費の出費になった現在も、月はじめに婦人之友は届きます。
家計簿、料理育児の指南役として若き時は活用し、文化経済、世界情勢の窓として読み続けています。
われらの研究室の一員として、「乳幼児たより」にYシャツから作るスモックエプロンを投稿し
「あの頃は 可愛かった」 という2才の娘の写真と共に掲載されもしました。
新宿三越で開催された『婦人之友 表紙画90年展』で、実家の蔵のなかで見たことのある薄汚れた表紙の綺麗な原画を見て、何とも言えぬ懐かしさを覚えました。その時代の大家の作品がならび壮観でした。
1970年9月号の“おみなえしと月”が好きで、表紙だけを今でも大事にとってあります。
ここ数年は、福岡伸一氏のエッセイの中に記された、母 和子さんへの感謝の気持ちが伝わる文章にであう度に、友の会60年、総リーダーとしてご一緒した東京第一総リーダーの和子さんの厳しくも思慮深く、行動力にあふれた姿を思い出し、伸一氏の多方面での活躍の源が感じられ、毎月楽しみに愛読しています
婦人之友と共に
松東最寄 K.A
婦人之友を読んだ母から愛読者の集まりがあることを教えられ、目白での展覧会を見て相模友の会に入会しました。初めて羽仁もと子著作集を読んで、聖書の言葉もあってとても難しかったことを思い出します。
最寄は30歳前後が多く家計も食の勉強も楽しく進みました。時々年配の方が来てくださって通読している著作集も理解を深めることができました。.同時に教会に導かれ私の座標軸としての信仰が与えられ今日までの恵みに感謝しています。
多くの感銘を受けた言葉がありますが、一番惹かれたのは「思想しつつ生活しつつ祈りつつ」です。―何事につけても深く考え意見を聞きあって、日々の生活の中でより良く実行して高められていく― 難しいことですが祈って一日が終わる生活でありたいと思っています。
若い時とはちがって載っている記事の読む順番が変わってきました。まず今月はどの著作集から抜粋された言葉が出ているのかと、そして<聖書 今日のいのり>の聖書の言葉と牧師先生。様々なことが教えられ考えられて楽しみです。体操も加わって一ヶ月充実した時を与えられています。相模友の会の発会の時から持たれていた聖書勉強会が休会になっています。著作集の基でもある聖書の学びができるよう祈ります。
みんなで魅力再発見「婦人之友」
書籍係 K.G
「婦人之友を語ろう会」を8月23日、オンラインで開催しました。出席は13名。
読書は9月号「ふるさと、又ふるさと」、皆さんのふるさとについて語ってもらったあと、婦人之友についての思いを語りあいました。皆さんのお話を一部紹介します。
・生活に役立つことが載っている。クオリティ・オブ・ライフを考えさせられる ・苦しいときに読んで心落ち着かせた時があった ・生活面だけでなく、世の中のことが書いてある。一歩先のことが書いてある ・47年間読んでいる、なくてはならない雑誌 ・みんなで作っていく雑誌を実感 ・近所の人に貸しているので、すべて読んで回している ・福岡先生、鎌田先生、海原先生、最上先生、今日の祈りを毎回読んでいる ・毎月書店に買いに行くのが楽しみ ・自分に関係ない記事も読んでいる ・電車の中、病院の待合室で読む
・姿勢を正して読んでいる ・1977年9月号から保管している。場所がある限り取っておきたい。
他にも色々なことがたくさん語られ、婦人之友の愛読者を実感できるよい時間となりました。
小さくて大きな雑誌「婦人之友」と半世紀
厚木北最寄 H.I
私が結婚した55年前は、食も衣も、材料を買って家庭で作るのが普通でした。
その後、世の中が変わり工場で作る「食料品」「既製服」が年を追うごとに多くなっていきました。そのような中でも、幼い娘たちの服を作り、一緒におやつを作るなど、手作りで毎日を過ごしていました。
50年前、「家事家計講習会」へ参加を機に友の会に入会。同時に書店で「婦人之友」を買い始めました。定期購読という方法もありましたが、ひっそりと静かに置かれている「婦人之友」を手に取り、買い求めることが大切な時間となりました。外出の時は持参し電車の中で読んでいました。翌月の発売の頃には読み終えていました。私と「婦人之友」は、そのような関係がずっと続いています。
年代により、載っている内容への興味の深さは変わっていきました。変わらなかったのは、特に「衣」に関することでした。いつの時代も、自分のため、家族のため、よその方のため、友の会の洋裁教室のためなどに、活用の機会をたくさん頂きました。最近は、「今日のいのり」を最初に読むことが楽しみです。
「7月号」を手にし、この半世紀を振り返りますと、「手作り」により「心を豊かにして頂けたこと」はもちろんですが、心の底では「女性として、人間としての生き方」を学ばせて頂いているような気がしています。
この小さくて大きな雑誌「婦人之友」に感謝です。
婦人之友に導かれて
海老名最寄 T.Y
「婦人之友」との出会いは小学生の頃。食卓に置かれていた母の大切なご本で、夕食後のひと時、よく子どもの頁を読んでくれたことを思い出します。高校生の時、デパートで開催された「友愛セール」「家事家計講習会」等々ちょっと覗いてみるつもりが、名前を書き残したことでその後社会人となってから係の方の熱心なお誘いを受けました。そして何年か後に横浜で開かれた「生活即教育展」を拝見して胸がいっぱいに
なり、ぜひこの会の一員に加えて頂きたいと願いました。
昭和51年に入会。同時に「婦人之友」の購読を始めました。最初に開く頁が、「創立者のことば」でした。
そこから著作集に導かれ「思想しつつ生活しつつ祈りつつ」を読み、羽仁先生の合理的な生活に教えられて、
この「思想しつつ・・・」をもっと身近なものにしたいと願いました。
著作集の中で好きな言葉は「よいことは必ず出来る」「思想しつつ生活しつつ祈りつつ」。
そして「家庭は簡素に社会は豊富に」を学び、毎月の家計の中に公共費の予算を組み入れることも教えられました。
友の家建設を希って 1 学期に 3回、友愛セールをした時は、製作品やお菓子・パン作りに励み、夢中で働きました。
替り合って、講師になったり助手になったりと力をつけさせていただきました。今思えば、楽しい思い出です。
愛と信頼に結ばれて謙遜になる。謙虚で潔い自分でありたいと希い、努力し怠りなく励む。もう人生の冬の時代に入って久しいですが、友の会の友情に励まされて、この中で生きてまいります。
「婦人之友」と私
H-T
「婦人之友」との出会いは、夫との結婚が決まったとき、最初に夫からの贈り物が「婦人之友」の雑誌でし た。
夫の母は毎月届く「婦人之友」をとても楽しみにして、生活歌集に投稿した作品が掲載された時はそれ は嬉しそうに家族に見せたり、また、子ども達にパンやお菓子を作ってくれたりしたと、何時も身近に「婦人 之友」があったようです。
結婚して、私も愛読者の一人になりました。
ある時、誌上に友の会の講習会が近くの会場であるのを見つ けて参加しました。
翌日には会員の方が最寄会に誘いに来てくれました。
入会当時は、友の家の建設の準備に、そして建設、竣工式と当時の委員会の方々のご苦労と忙しさは、見ているだけでしたが、頭がさがり ました。
友の家の建設の返済のため良く働きました。年数回の友愛セールや催し物などをして、活発に働 きました。
その頃の会員数は 300 人を超えて友の会は活気がありました。未熟ながら総リーダーもさせて頂 きました。
最初に夫から贈られた「婦人之友」は今も毎月家に届いています。120 年の記念の本を手 に取り昔を思い出して感謝です。
祝!婦人之友120周年
K.G
4月3日「婦人之友社建業120周年 感謝の会」にYouTube Liveにて同時視聴で参加しました。
最初に入谷代表から、今日は全国から約1800人の参加、婦人之友社は1903年4月3日に建業されたこと、竹久夢二の「手をつなごう」から平和と友愛のメッセージを込めたロゴへの変更などが伝えられました。
第1部は「みんなでつくる雑誌」をテーマに森まゆみさん、林香里さん、山崎みどりさんの座談会。何代にもわたり、読み継がれる雑誌。この雑誌に家計簿を見せられることの大切さ。そこには読者との信頼がある。生活の指針となる雑誌。平和を読者とつないでいく。男の人も読んでいける雑誌にしてほしい。読者と一緒になって社会とつながり、暮らしを心豊かにしていく、など、婦人之友について色々な魅力が話されました。
今回、多くの気づきと、次へ進む力を頂きました。「読むだけではなく、読んで実行し、考える。自分たちも参加して作っていく。」この言葉を念頭に置き、楽しく読み、楽しく実行していきたいと心新たにしました。
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